令 和 平 成 昭 和 高山警察署 駅前交番 訪日外国人対応業務 専門職 吉よしもと本 博ひろゆき之さん 高山赤十字病院 経営企画課 課長 荒あらかわ川 幸ゆ き お雄さん いつの時代も 高山の人は“あたたかく” 世界の人々を 迎えてきました 支える ’88飛騨・高山 食と緑の博覧会 総入場者 701,541人 「輝く飛騨」を国内外にアピール 2016年(平成28年) 市内飲食店が、世界の旅行者が利用する 口コミサイトの「外国人に人気の日本のレ ストラン2016」で全国1位に 1966年(昭和41年) 平湯温泉でくつろぐ デンバー市親善団一行 1986年(昭和61年) 「国際観光都市」宣言 1971年(昭和46年) 観光客数100万人突破 1960年(昭和35年) デンバー市との 姉妹都市提携 1970年(昭和45年) 国鉄キャンペーン 「ディスカバージャパン」 1934年(昭和9年) 高山本線全線開通 1988年(昭和63年) 「’88飛騨・高山 食と緑の博覧会」開催 2007年(平成19年) 「ミシュラン実用旅行ガイド」で 飛騨高山を3つ星として紹介 2021年(令和3年) 新型コロナウイルス感染症の 影響により旅行者数は激減 2024年(令和6年) 外国人宿泊者数が 過去最高の77万人を記録 1937年(昭和12年)の高山市を紹介するパンフレット なんと、 今から約90年前には 英語のパンフレットが ありました 岐阜県下で 初めて 22025.3.20 地 域 医 療 を 守 る 、 外 国 人 患 者 を 支 え る 高山 赤 十字 病院 の 令和 6年 度 の外 国人 患 者の 受け 入 れ は、 過 去最 多の 約 60 0人 と なる 見込 み 。 地域 医療 を 守り なが ら 、医 療機 関 とし て外 国 人患 者受 け 入 れの ため 、 院内 には 多 言語 の案 内 板設 置の ほ か、 医 療 電 話 通訳 の 仕組 み も導 入。 時 には 外国 人 入院 患者 の 帰 国の 相 談 に も 対応 す るな ど、 国 籍の 分け 隔 てな く献 身 的 な 対応 を し て いま す。 「 在 住 ・訪 日 外 国 人が 増え る 中、 病院 ス タッフの 負 担も 年々 重 く な って い ま す 。多 く の 方 々の ご 理 解 や ご協 力 を い た だき な が ら、 地 域 医 療 を 守って い きた い と 考 えて いま す 。」 誰 も が 安 心 し て 過 ご せ る ま ち を 目 指 し て 高山 警 察 署 では 、 観 光 客の ト ラ ブ ルや 事 故 対 応、 イ ベ ン ト 開催 時 の 交 通規 制 対 応 など 、 観 光 客が 増 加 す る中 、 地域 の 安 全と 秩 序 維 持に 取 り 組 んで い ま す 。 「カ タ コト で もそ 国 の 言葉 で 話 し かけ る と 安 心さ れ る んで すよ 」と語 る のは 駅 前 交 番に 勤 務 す る吉 本 さ ん 。高 山 祭 の際 には 、 混雑 や ス リに 関 す る 注意 喚 起 を 9言 語 で ア ナウ ン スし ます 。 「 海外 と 日本 では 、 文 化も 習 慣 も 異な る も の 。マ ナ ー に 関 する こと は 、少 し でも 気 持ち よく 高 山 を観 光し て いた だく ため にも 、 協力 をお 願 い する よう な ニュア ン スで 伝 える よう に 心 掛け てい ま す。」
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